東京地方裁判所 昭和58年(行ウ)98号 判決 1985年10月23日
原告 大谷和子
被告 小石川税務署長
主文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求める判決
一 請求の趣旨
1 板橋税務署長が昭和五六年七月一三日原告の昭和五四年分の所得税についてした更正及び無申告加算税賦課決定を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨
第二当事者の主張
一 請求の原因
1 課税経緯
原告の昭和五四年分の所得税について、原告が板橋税務署長に対してした確定申告並びにこれに対して同署長がした更正(以下「本件更正」という。)及び無申告加算税の賦課決定(以下「本件賦課決定」という。)の経緯は別紙1記載のとおりであり、原告は右各処分について適式に異議申立て及び審査請求を経ている。
2 被告適格
右各処分後、原告は住所を肩書地に移転した。これにより、原告に対する国税賦課徴収の権限は被告に承継された。
3 不服の範囲
よつて、原告は本件更正及び本件賦課決定に不服であるから、その取消しを求める。
二 請求原因に対する認否
請求原因1、2の各事実は認める。
三 抗弁
1 原告の昭和五四年分の所得
(一) 総所得金額 二三七万四〇〇〇円
原告の昭和五四年分の給与所得の金額であり、同人の同年分所得税の確定申告と同額である。
(二) 分離短期譲渡所得金額 三二四九万三四六九円
左記(1)の本件土地持分に係る収入金額から、(3)、(4)の各費用を差し引いた金額である。
(1) 本件土地持分の譲渡契約
原告は株式会社大谷建装(以下「大谷建装」という。)との間で昭和五四年一月二六日、左記の内容の契約(以下「本件譲渡契約」という。)を締結した。ちなみに、本件譲渡契約は補足金付き交換契約に当たるものと解される。
(イ) 大谷建装は、原告が所有する別紙2一記載の土地(以下「本件土地」という。)の上に五階建マンシヨン(以下「本件マンシヨン」という。)を建設する。
(ロ) 大谷建装は、原告に対し、本件マンシヨンの一階及び五階の各専有部分の区分所有権を価額金三三三九万〇四〇〇円で譲渡し、原告は、大谷建装に対し、本件土地の持分一万分の六一八六(以下「本件土地持分」という。)を価額金四〇七九万五七五五円で譲渡する。
(ハ) 大谷建装は、原告に対し、(ロ)の差額金七四〇万五三五五円を支払う。
(2) 目的物件の引渡(譲渡収入の確定)
右契約に基づき、大谷建装は、本件土地上に本件マンシヨンを建設し(建物の表示登記昭和五四年三月一三日)、その一階及び五階の各専有部分をそのころ原告に引渡し(原告所有権保存登記昭和五四年四月五日)、原告は、本件土地持分を大谷建装に引渡した(登記は、右持分のうち一万分の四一二四について昭和五四年一一月二四日に持分一部移転登記がなされた。右持分の残余についての登記は再抗弁1(一)ないし(三)のとおりである。)。
(3) 取得費 三五一万〇二四四円
原告は、昭和四七年四月一日に日本住宅公団から、本件土地全部を代金五六七万四四九八円で買い受けた。
従つて、本件土地持分の取得費は、同土地持分割合により右代金額を按分した三五一万〇二四四円である。
(4) 譲渡費用 四七九万二〇四二円
原告は本件土地持分を譲渡するにあたり、本件土地上に所有していた別紙2二記載の建物(以下「本件建物」という。)を取り壊した。本件建物の建築価額は五四七万六六一九円(原告の確定申告書添付の資料に記載されている金額と同額)であるから、本件建物を新築した昭和四八年八月以降、これを取毀すに至つた昭和五三年四月までの期間に対応する減価償却費相当額六八万四五七七円を差し引いた頭書金額が右譲渡によつて原告に生じた損失額である。
2 所得控除額
(一) 扶養控除額 二九万〇〇〇〇円
原告の昭和五四年分所得税の確定申告と同額である。
(二) 基礎控除額 二九万〇〇〇〇円
所得税法八六条に定める額であり、原告の前記確定申告と同額である。
3 課税所得金額
(一) 課税総所得金額 一七九万四〇〇〇円
前記1(一)の総所得金額二三七万四〇〇〇円から前記2の各所得控除額を控除した残額(但し、一〇〇〇円未満の端数は切捨て)である。
(二) 課税短期譲渡所得金額 三二四九万三〇〇〇円
前記1(二)の金額(但し、一〇〇〇円未満の端数は切捨て)である。
4 本件賦課決定の適法性
原告の確定申告は別紙1のとおり法定申告期限後になされた。
従つて、本件更正により原告が納付すべき税額一六二九万九〇〇〇円(一〇〇〇円未満の端数は切捨て)に一〇〇分の一〇の割合を乗じて計算した額一六二万九九〇〇円が無申告加算税の金額である。
四 抗弁に対する認否
1 抗弁1(一)は認める。
同(二)冒頭の短期譲渡所得金額は七六三万六四六〇円の限度で認め、その余は争う。
(二)(1)のうち、原告と大谷建装との間で昭和五四年一月二六日、被告主張の内容の本件譲渡契約が締結されたことは認めるが、同契約が一個の交換契約であるとの主張は争う。同契約は本件土地持分と本件マンシヨンそれぞれについての二個の売買契約である。
(二)(2)の事実は認める。
(二)(3)の前段の事実は認める。後段の取得費の計算自体は認める。
(二)(4)の事実は認める。
2 同2の事実は認める。
3 同3(一)の事実は認める。
同(二)の課税短期譲渡所得金額は七六三万六四六〇円(再抗弁1前文の収入金額一三五九万八五八三円から取得費の按分額一一七万〇〇八一円及び譲渡費用四七九万二〇四二円を控除した額)の限度で認め、その余は争う。
4 同4前段の事実は認める。後段の無申告加算税の金額は争う。
五 再抗弁
1 合意解除
原告と大谷建装代表取締役大谷隆一(以下「隆一」という。)とは昭和五五年三月一四日、本件土地持分についての売買契約を解除する旨合意(以下「本件合意解除」という。)した。
但し、本件土地持分のうち、合計一万分の二〇六二については、次のとおり、いずれも大谷建装から第三者に転売されていたため、右合意解除の効力を及ぼすことができず、この部分に相当する売却代金一三五九万八五八三円のみが原告の譲渡収入として残つた。
(一) 昭和五四年三月一三日、持分一万分の五七四が伏見建設株式会社(以下「伏見建設」という。)に譲渡され、更に長崎忠に転売されて、同年七月一〇日、原告から長崎忠に右所有権一部移転登記手続がなされた。
(二) 同年六月一二日、持分一万分の七四四が能木場斌夫に譲渡され、同年七月二四日、原告から同人に右持分一部移転登記手続がなされた。
(三) 同年六月二五日、持分一万分の七四四が渡辺鉄也に譲渡され、同年八月一〇日、原告から同人に右持分一部移転登記手続がなされた。
2 原状回復等
本件合意解除が成立したことは、合意解除によつて生じた原告と大谷建装との間の権利義務を次の(一)ないし(三)のとおり清算する旨の契約が締結され、(四)ないし(六)のとおり履行された事実からも明らかである。
(一) 大谷建装は原告から同社に対し昭和五四年一一月二四日なされた本件土地持分のうち一万分の四一二四(前記1(一)ないし(三)の各持分を除いた部分)についての移転登記の抹消登記手続を行なう。
(二) 大谷建装は原告に対し、右持分一万分の四一二四について、昭和五四年一月二六日から同五五年六月三〇日までの間の賃料相当損害金として二一七万五七七三円を支払い、同五五年七月一日からは賃料月額一三万六〇〇〇円で賃借する。
(三) 本件土地持分の譲渡金額四〇七九万五七五五円中、本件合意解除の効力の及ばない前記1の一万分の二〇六二の持分に相当する一三五九万八五八三円は原告が取得し、本件合意解除の効力の及ぶ一万分の四一二四の持分に相当する二七一九万七一七二円の内金として支払われた六〇〇万円は原告から大谷建装に返還する。
なお、原告が取得する右一三五九万八五八三円は、原告が大谷建装から買い受けた本件マンシヨンの一階及び五階の各専有部分の代金三三三九万〇四〇〇円と相殺して、原告は大谷建装に対し右相殺残代金一九七九万一八一七円を支払う。
(四) 右2(一)の抹消登記手続は昭和五五年五月一七日なされた。
(五) 右2(二)の賃料相当損害金は、昭和五七年四月一〇日、現金で支払を受けた。
(六) 原告が大谷建装に支払うべき金額は、本件マンシヨン一階及び五階の各専有部分の相殺残代金額一九七九万一八一七円及び右2(三)の後段の返還額六〇〇万円(合計二五七九万一八一七円)であるが、大谷建装が原告に支払うべき前記2(二)後段の賃料のうち昭和五五年七月一日から同五六年六月三〇日までの合計一六三万二〇〇〇円を対当額で相殺し、残額二四一五万九八一七円支払のため、原告は二五〇〇万円を同五六年八月一二日、大谷建装に支払つた。
ちなみに、原告の右過払金八四万〇一八三円は昭和五七年一月五日返還された。
3 やむを得ない理由
本件合意解除について、原告には次の(一)ないし(三)のとおり国税通則法二三条二項三号、同法施行令六条一項二号に定める「やむを得ない理由」があつた(昭和三九年五月二三日付け直審(資)二二の国税庁長官通達五及び七参照)。
従つて、再抗弁1の事実だけでは、税法上、収入の発生を妨げる理由とならないと解しても、「やむを得ない理由」がある本件では、確定申告(期限後申告も同じ。)において右解除の結果に基づいた申告が許され、更正の請求の手続によることを要しないと解すべきである。
(一) 原告は昭和二年生まれで、実質的には家庭の主婦であり、昭和四八年八月二四日から同五三年四月一〇日頃までの間、本件建物に居住していた。
従つて、右建物の敷地である本件土地持分の譲渡には、租税特別措置法(昭和五八年法律第八号による改正前のもの。以下「措置法」という。)三五条一項が適用されると考えて、本件譲渡契約を締結した。
(二) ところが、原告は昭和五四年分の所得税の確定申告の際、税理士清水恒男(以下「清水税理士」という。)から、居住用財産といえども、いわゆる同族会社に対する譲渡には措置法三五条一項所定の特例が適用されない旨を初めて知らされた。大谷建装は原告にとつて右の同族会社(措置法三五条一項、同法施行令(昭和五七年政令七二号による改正前のもの。以下「旧施行令」という。)二三条二項五号の特別の関係ある者)に当たる。
(三) 本件合意解除は、原告の右のような税法知識の欠如によつて当初選択した譲渡行為が過誤に基づく軽卒なものであつたので、これを是正するためになされたものである。そして、合意解除は適法行為であり、収入の隠蔽工作のような違法な行為とは異なる。
六 再抗弁に対する認否並びに主張
1 再抗弁1のうち、本件土地持分中一万分の二〇六二が(一)ないし(三)のとおり、大谷建装から第三者に転売され、各登記が経由されたことは認め、その余の事実は否認する。
仮に本件合意解除が成立したとしても、本件所得税の納税義務は、昭和五四年一二月三一日の経過と同時に法律の定める課税要件が充足されることによつて成立しているから、その後になされた本件合意解除によつて、更正の請求あるいは減額更正をまたないで当然に、右納税義務の内容に変更を生じるものではない。
そうでないとしても、本件合意解除は、税法上、本件譲渡契約により既に発生した収入を遡及して消滅させる効力を有しないものと解するのが相当である。
すなわち、国税通則法二三条二項三号、同法施行令六条一項二号からも明らかなとおり、法は、正当な解除権の行使若しくは、事後の客観的、合理的根拠に基づく合意解除又は取消しの場合に限つて、当該契約から発生した経済的効果の遡及的消滅を肯認し、例外的に課税の是正を認めるものであり、当事者の恣意的な合意解除による経済的効果の覆滅は、税法上はこれを認めない趣旨と解されるのである。そして、この理は本件にも妥当するものと解される。
2 同2は、(四)の事実及び(六)のうち原告が大谷建装に対し昭和五六年八月に二五〇〇万円を支払つた事実を認め、その余の事実はいずれも不知。
3 同3は、(一)のうち原告の本件建物居住期間及び(二)の事実を認め、3の前文の見解、(一)のうち原告の措置法三五条に関する認識及び(三)の事実を争う。なお、原告が引用する通達は贈与税の課税についての取扱いを定めたもので、本件には妥当しない。
七 再々抗弁(通謀虚偽表示)
仮に、合意解除が税法上も収入を消滅させる効果を一般的には持つとしても、本件合意解除は、以下の事実が示すとおり、原告に課される譲渡所得税を回避する目的で相手方と通じて真意でないものとする合意の下になされた仮装の意思表示であるから無効である。
1 原告と大谷建装代表取締役隆一とは夫婦である。
2 原告と隆一は、再抗弁3(二)のいきさつから、原告の譲渡所得を秘匿し、これに対する課税を回避するため、本件譲渡契約の合意解除を外形的に仮装しようと図つた。
3 原告は隆一と相謀り、右合意解除の効力を及ぼし得ない前記伏見建設らに対する本件土地持分中の合計一万分の二〇六二の譲渡については、大谷建装が原告から本件土地持分の販売委託を受けて譲渡したものとして処理するため、その作成日付を昭和五三年三月一〇日及び同年一二月一〇日に遡らせた二通の土地委託販売契約書を作成したうえ、昭和五四年分の所得税の確定申告をなした。
4 大谷建装は同社の昭和五三年七月一日から翌五四年六月三〇日までの事業年度に係る確定申告において、前記伏見建設らに対する本件土地に対する共有持分の譲渡による譲渡益を同社の所得として計上して申告しておきながら、その後もその是正措置を講じなかつた。
5 大谷建装は昭和五五年一月ころ、被告に対し、所得税法施行規則九〇条一項の規定に基づき、本件土地持分全部(一万分の六一八六)につき、代金四〇七九万五七五五円で原告から買受けたとする「昭和五四年分不動産等の譲受けの対価の支払調書」を提出した。
6 原告は、本件原処分調査担当者及び異議審理調査担当者に対し、前記3の委託販売契約書が昭和五五年三月一五日以降作成されたものであるにもかかわらず、右委託販売契約は昭和五三年三月に締結されたものであり、本件土地持分の譲渡は原告と大谷建装との右委託販売契約に基づくものである旨の虚偽の供述をした。
7 原告の主張によれば、本件合意解除は昭和五五年三月一四日に行なわれたというにもかかわらず、本件合意解除に伴う清算は、その後一年を経過してもなされず、本件更正処分の通知が原告に送達された後の昭和五六年八月になつてようやくなされた。
8 原告は、右清算に当てるため昭和五六年七月三一日巣鴨信用金庫大塚支店に対し金二五〇〇万円の借入れ申込みをなしているが、その借入申込書の「税務署調査で課税対象(略)となることを指摘され(略)二五〇〇万円を(株)大谷建装へ返済すべく申込みとなつた。」旨の記載からも明らかなとおり、原告が右清算をなすことにしたのは、本件更正処分により原告に所得税が課されることとなつたため、これに対処する必要が生じたからに他ならない。
八 再々抗弁の認否
再々抗弁の前文の主張は争う。
同1の事実は認める。
同2のうち、再抗弁3(二)の事実は認め、その余の事実は否認する。
同3のうち、原告と大谷建装との間で被告主張の土地委託販売契約書二通が日付を遡らせて作成されたことは認め、その余の事実は否認する。
同4、5の各事実は認める。
同6の事実は否認する。
同7のうち、原告と大谷建装との間の清算の一部が昭和五六年八月になされたことは認め、その余の事実は否認する。
同8のうち、被告主張の借入申込書に被告主張の記載がある(但し、信用金庫の係員の手になるものである。)ことは認め、その余の事実は否認する。
第三証拠<省略>
理由
一 課税経緯等
請求原因1(課税経緯)及び同2(被告適格)の各事実は当事者間に争いがない。
二 原告の昭和五四年分の所得
1 課税総所得金額
抗弁1(一)(総所得金額(給与所得))、同2(所得控除額)の各事実は当事者間に争いがなく、従つて、その課税総所得金額が抗弁3(一)のとおりであることも当事者間に争いがない。
2 分離短期譲渡所得の金額
(一) 本件譲渡契約の性質
原告と大谷建装が昭和五四年一月二六日、被告主張の約定による本件譲渡契約を締結したことは当事者間に争いがなく、原本の存在と成立に争いがない甲第三号証によれば、原告による本件土地持分の移転と大谷建装による本件マンシヨンの一階及び五階各専有部分の区分所有権の移転及び差額金の支払いとは相互に契約の目的として等価的に依存し合う関係にあるものと認められるから、これを補足金付交換契約(ちなみに、右甲第三号証の表題も「土地建物交換契約書」である。)とみるのが相当である。
(二) 目的物件の引渡
抗弁1(二)(2)の事実(目的物件の引渡)は当事者間に争いがない。
(三) 譲渡所得の計算
以上のとおりであるから、原告には、昭和五四年中に、本件土地持分を大谷建装に譲渡したことによる四〇七九万五七五五円の収入が発生したものである。
そして、抗弁1(二)(3)前段(本件土地の取得費)、後段(本件土地持分に係る同取得費の按分額の算定)、同(4)(譲渡費用)の各事実は当事者間に争いがない。
そうすると、原告の分離短期譲渡所得の金額は、右収入金額から右各費用の額を控除した三二四九万三四六九円と算出される。
3 課税短期譲渡所得金額
課税短期譲渡所得の金額は、右2(三)の金額から国税通則法一一八条一項によつて端数を切り捨てた三二四九万三〇〇〇円となる。
三 本件合意解除の成立とその時期
1 被告は、所得税の納税義務は当該暦年の終了時に成立するものであるから、仮に、その翌年の三月一四日に本件合意解除があつても、これにより当然に(更正の請求という手続を経ないで)、前年分の譲渡所得に係る納税義務の内容に変更を生じるものではないと主張する。
しかし、国税通則法二三条一項一号が過誤に基づく過大な申告について更正の請求を認め、また同条二項三号、同法施行令六条一項が一定の要件のもとに、いわゆる後発的事由に基づく更正の請求を許している趣旨に鑑みれば、当該所得年度の終了後その法定申告期限までに成立し、当該所得年度の収入を遡つて消滅させることになる合意解除は、当該所得年度に係る所得税確定申告においてこれを反映させ、同収入の不発生を前提とした確定申告をすることが許されるものと解すべきである。
被告の右主張によれば、当該所得年度が経過した日から同年度に係る所得税の法定申告期限までに発生した国税通則法二三条一項各号該当の事実があるときも、別個に更正の請求を経るべきであり、確定申告においては右該当事実の発生を反映させてはならず、反映させない申告こそ正しい申告ということになるが、同項は、このような確定申告書と更正の請求書の同時提出をも当然の事理として、更正の請求の制度を設けたのではない。けだし、同条一項一号によれば、更正の請求は、当該申告書に記載した課税標準等が「法律の規定に従つていなかつたこと」により過大申告となつている場合に許されるものであるから、前記該当事実を理由として更正の請求ができるということは、同事実を当該申告に反映させなかつたために、同申告が「法律の規定に従」わない過大な申告となつていることを肯定することになり、「法律の規定に従つ」た申告とは右該当事実を当該申告に反映させたものを指すと解釈するほかないからである。すなわち、「法律の規定に従つ」た確定申告と当該申告についての更正の請求とが同時になされるということは、法定の申告期限内の申告に関する限り、法の予定しないところといわなければならない(期限後申告は別論)。被告の右主張は採用できない。
右に述べたところと国税通則法二三条二項が、いわゆる後発的事由による更正の請求については、同条一項の場合により厳格な要件を設け、制限していることとを合わせて考えれば、法は、当該所得年度の経過により所得税の納税義務は抽象的には成立するものの、その具体的内容は法定申告期限内の確定申告によつて始めて明らかになることが法律上予定されているところから、更正の請求の理由に相当する事実がその法定申告期限までに発生したものであるときは、これを当該確定申告に反映させることを許容し、反面、当該納税義務の内容が具体的に確定すべき時期が経過した後に発生した事実については、その更正の請求を真にやむを得ない場合に制限したものと解するのが相当である。
被告は、また、当事者の恣意的な合意解除は税法上認められないと主張するが、当該所得年度経過後その法定申告期限内の合意解除であつても、それが真実であり、当該収入を遡つて失わせたものであれば、その動機がどうであるにせよ、これを確定申告に反映させることは許されなければならない。この場合に、税務署長は当該合意解除によつて権利を害されることになる第三者には当たらない。また、右合意解除が租税回避の動機によつたものであつたとしても、合意解除が仮装のものでないならば、租税収入の減少を来すからといつて、法律上の根拠がないのに当該合意解除による収入消滅の効果を否認することは許されないといわざるをえない。
2 そして、右1に述べたところは、その確定申告が法定申告期限後になされた場合にも妥当すべきものである。
そこで、原告主張の合意解除の成否及びその時期について次に判断する。
(一) 再抗弁1のうち(一)ないし(三)の事実(本件土地持分のうち合計一万分の二〇六二の第三者への転売及び登記)、同2(四)の事実(原告から大谷建装への持分一部移転登記の昭和五五年五月一七日付け抹消行為)、同2(六)のうち原告が大谷建装に二五〇〇万円を昭和五六年八月に支払つた事実及び再抗弁3(二)の事実(措置法三五条一項の適用がないことを原告が知つた経緯)は当事者間に争いがない。
(二) 前掲甲第三号証、成立に争いのない甲第一九号証、乙第六号証、第一一号証の一、原本の存在と成立に争いのない乙第七号証、第一一号証の二及び三、証人清水恒男の証言により真正に成立したと認められる甲第二号証、第五号証及び第七号証、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲第六号証、第九号証の一、第一〇号証の二及び三、第一二号証の一及び二、第一三号証、第一四号証、第一五号証の一、第一六号証の二、第二四号証、証人清水恒男の証言並びに弁論の全趣旨を総合すれば以下の事実が認められる。
(1) 原告は、昭和五五年三月一二日又は一三日ころ、夫の隆一と共に清水税理士の事務所を訪れ、原告の昭和五四年分の所得税の確定申告手続を依頼したが、その際、同税理士から再抗弁3(二)のとおり、本件譲渡契約に係る原告の譲渡所得には措置法三五条一項所定の特例が適用されないことを教えられた。
(2) 清水税理士は原告及び隆一に対し、右特例の適用を受けるため、本件譲渡契約を合意解除し、第三者に転売済みの持分の関係では、日付を遡らせた土地委託販売の形式をとり、大谷建装への持分一部移転登記は速やかに抹消するとの方策を示し、その具体的実行に取りかかるよう助言した。そこで、原告及び隆一はこれに従い、右(1)の確定申告は、右合意解除に関する書類が整い、かつ右登記の抹消を待つて行うことにした。
もつとも、右助言をした時点では、清水税理士も右合意解除の効力が既に第三者に移転登記されている持分についてまで及ぶか否かについては確たる知識がなく、右第三者を害しえないことを知つたのは、右確定申告の依頼を受けた後に研究した結果であつた。
(3) 右(2)の助言に基づき、原告と大谷建装との間では、本件土地持分の販売を原告が大谷建装に委託する旨の「土地販売委託契約書」と題する書面が昭和五三年三月一〇日付け及び同年一二月一〇日付けで各一通作成されたが、いずれも作成日付を遡らせたものであり、内容も真実ではない。また、大谷建装は、右「土地販売委託契約書」に対応する帳簿として、「受託土地仕入勘定」、「預り金(土地受託分)勘定」、「棚卸土地勘定」を設けているが、右帳簿上に各勘定科目が設定された時期は昭和五五年三月一五日より後のことであり、右各勘定科目に照応する振替伝票の作成時期も同様であつた。
さらに、大谷建装は昭和五五年三月一四日付けと表示した「臨時株主総会議事録」と題する文書をも作成しているが、これには、右交換によつて同社が現に所有する一万分の四一二四の持分について「売買取消」及び「当該土地の賃借」が議決された旨の記載があるにとどまり、本件土地持分の残余(第三者へ移転登記済みの持分)については「売買取消」等の記載はない。
(4) 清水税理士は、前記(2)の持分一部移転登記の抹消が終るまで、前記(1)の確定申告手続を控えていたところ、同年六月一四日又は一五日ころ、原告から右抹消を了え、合意解除に関係する書類も整つた旨の連絡があつたので、本件土地持分のうち合計一万分の二〇六二のみが譲渡されたとする内容の原告名義の昭和五四年分の所得税の確定申告書を作成し、同月一九日にこれを提出した。
(5) 前記(3)の各書類のほかにも、原告と大谷建装との間では、昭和五五年六月三〇日に「売買契約の錯誤取消による土地の賃貸料に関する契約書」が、同年七月一日に「土地賃貸借契約書」が各作成された。ちなみに、前者は、本件土地持分のうち一万分の四一二四について、同年六月三〇日までの「賃料」(再抗弁2(二)にいう賃料相当損害金)を「売買価格の八分に相当する」二一七万五七七三円とする旨を定め、後者は、同年七月一日以降の賃料を一か月一三万六〇〇〇円とする旨を定めている。
(6) 昭和五六年八月一二日に原告が大谷建装に支払つた二五〇〇万円(再抗弁2(六)のうち争いのない事実)は、前記の合意解除の実行に伴う原状回復措置の一環であつたが、右資金の調達のために原告が巣鴨信用金庫大塚支店に借入を申込んだのは昭和五六年七月三一日であつた(同借入申込書に「税務署調査で課税対象(略)となることを指摘され(略)二五〇〇万円を(株)大谷建装へ返済すべく申込みとなつた。」旨の記載があることは当事者間に争いがない。)。
(三) 右(一)、(二)の事実によれば、原告は大谷建装との間の本件譲渡(交換)契約は、本件土地持分のうち第三者に移転登記済みの合計一万分の二〇六二に係る部分を除いて、合意解除されたものと認められるが、その合意の時期は、昭和五四年分所得税の確定申告期限である昭和五五年三月一五日が経過した後であり、同年五月一七日(持分一部移転登記の抹消登記完了の日)までの間と認められる。
原告は右合意解除の時期を同年三月一四日と主張する。しかし、前記(二)(3)のとおり、昭和五三年三月一〇日付け及び同年一二月一〇日付けの各「土地販売委託契約書」の日付は故意に遡らせたものであつて、原告主張の成立時期を認定する証拠としては採用できない。同所掲の「臨時株主総会議事録」の日付は昭和五五年「三月一四日」と表示されているが、右「土地販売委託契約書」に対応する大谷建装の帳簿上の三つの勘定科目(前記(二)(3))の設定及び振替伝票の作成は、いずれも同月一五日より後であること、原告の昭和五四年分所得税の申告は、合意解除に関係する書類が整い、かつ大谷建装への登記が抹消された時点で行うことになつていたところ(前記(二)(2))、右抹消登記がなされたのは昭和五五年五月一七日、確定申告がなされたのは同月一九日と、いずれも確定申告の期限から二か月にあまる期間を要していること、さらに、「売買契約の錯誤取消による土地の賃貸料に関する契約書」、「土地賃貸借契約書」に至つては三か月余も経過した後に作成されていること、原告及び隆一から相談を受けた清水税理士も、その時点では、合意解除が第三者の権利関係にいかなる影響を及ぼすかという法律問題については確たる知識を持ち合わせず、その後に研究していること、の各事実に照らして、とうてい三月一四日に作成されたものとは認められない。そして、証人清水恒男の証言も合意解除の成立日についてはあいまいなところが多く、右に挙げた各事実に照らして、採用できない。
他に、右合意解除の成立時期が原告主張のとおりであることを認めるに足りる証拠はない。
四 本件合意解除の税法上の効力
1 右に判断したとおり、本件合意解除は法定申告期限の経過後になされたものと認められるところ、国税通則法施行令六条一項二号は、同法二三条二項三号の「その他当該国税の法定申告期限後に生じた前二号に類する政令で定めるやむを得ない理由」を「その申告、更正又は決定に係る課税標準等又は税額等の計算の基礎となつた事実に係る契約が、解除権の行使によつて解除され、若しくは当該契約の成立後生じたやむを得ない事情によつて解除され、又は取り消されたこと」と規定する。従つて、「解除権の行使」ではない合意解除は、それが右にいう「やむを得ない理由」即ち「当該契約の成立後に生じたやむを得ない事情」によるものであるときに限つて、これを更正の請求の理由とすることができるけれども、その更正の請求は国税通則法二三条三項所定の事項を記載した書面によることを要し、かつ同法施行令六条二項後段によつて、証明書類が存在するときは、その添付を要するものである。
そうであれば、期限後申告者には、法定申告期限を遵守した者との均衡上、右更正の請求によりうること以上の利益を認めることはできないから、原告は、本件合意解除が本件譲渡契約の成立後に生じたやむを得ない事情によるものであるときに限つて、更正の請求の手続きを踏んで、その確定申告に係る課税標準及び税額の減額を求めることができるに過ぎないものと解すべきである(ちなみに、期限後申告の場合に、法定申告期限後に生じた合意解除を反映させて申告することを許すときは、単に更正の請求の手続きを要しないという便益を与えるにとどまらないことは、当該合意解除に係る所得に見合う増額更正の要否及び訴訟上の立証責任並びに過少申告加算税の問題等を考えれば明らかである。)。
2 のみならず、本件合意解除は前記法条にいう「やむを得ない事情」によるものとは言えない。
原告は、原告が昭和二年生まれで、実質的には主婦であり、税法知識が欠如していたことをもつて本件合意解除のやむを得ない事情に当たると主張するが、同法二三条二項三号、同法施行令六条一項二号の規定に徴すれば、右の「やむを得ない事情」とは法定の解除事由がある場合、事情の変更により契約内容に拘束力を認めるのが不当な場合、その他これに類する客観的理由のある場合を指すものと解すべきであり、原告の主張する租税負担に関する知識の欠落あるいは誤解という主観的事実のみでは右の「やむを得ない事情」があつたということはできない。また、原告の右主張事実は「当該契約の成立後生じた」(同令同条同項同号)ものでもない。
原告は昭和三九年五月二三日付け直審(資)二二の国税庁長官通達の記5及び7を援用するが、右通達はいずれも贈与税の特質を考慮して、独自の取扱い方針を定めたものに過ぎず、現に同通達の記11においては合意解除があつた場合は贈与税の課税を行うとの原則が掲げられている。従つて、右通達も前記の「やむを得ない事情(もしくは理由)」の解釈をなんら動かすものではない。
3 なお、原告は、本件土地持分のうち一万分の二〇六二について、原告から第三者へ直接譲渡があつたと同様な関係が生じたかの如く主張をするかのようであるが、そのような直接の譲渡に当たる具体事実の主張はないから(土地販売委託契約の締結のみでは、右の直接の譲渡は起らない。)、抗弁事実の主張(不利益陳述)としては採り上げない。従つて、前述のとおり本件譲渡(交換)契約により大谷建装が取得した本件土地持分のうち合計一万分の二〇六二は第三者に転売されて移転登記も了えており、本件合意解除の効力がこれに及ぶ余地はないから、原告と大谷建装とが旧施行令二三条二項五号に規定する特別の関係にあることに争いがない本件では、右土地持分の譲渡(交換)所得に措置法三五条一項の適用がないことは言うまでもない。
4 以上のとおり、再抗弁は失当である。
五 本件賦課決定について
抗弁4前段(期限後申告)の事実は当事者間に争いがなく、右について原告に正当な理由があつた旨の主張はない。
そうすると、原告が本件更正により納付すべき税額一六二九万九〇〇〇円(一〇〇〇円未満の端数は切捨て)に一〇〇分の一〇を乗じて計算した額一六二万九九〇〇円を無申告加算税(国税通則法六六条一項本文、一号)とした本件賦課決定は正当である。
六 結論
以上のとおり、原告の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 山本和敏 太田幸夫 大島隆明)
別紙1 本件課税処分の経緯 (金額単位 円)
区分
年月日
総所得金額
分離課税の短期
譲渡所得金額
所得控除額
納付すべき税額
無申告加算税額
確定申告
55・6・19
二、三七四、〇〇〇
〇
五八〇、〇〇〇
〇
―
更正・賦課
決定処分
56・7・13
二、三七四、〇〇〇
三二、四九三、四六九
五八〇、〇〇〇
一六、二九九、三〇〇
一、六二九、九〇〇
異議申立て
56・9・12
二、三七四、〇〇〇
〇
五八〇、〇〇〇
〇
〇
同決定
56・12・11
棄 却
審査請求
57・1・9
二、三七四、〇〇〇
〇
五八〇、〇〇〇
〇
〇
同裁決
58・2・24
棄 却
別紙2<省略>